人格障害の妹を持ったと思って諦めなさい!!

「人格障害の妹を持ったと思ってあきらめなさい」精神科医のこの言葉がすべてを語っています。 あおり運転、幼児虐待、無差別殺人といったニュースがあとを絶たない現在。 いわれなき被害にあわないためには、おかしな人には関わらない、接近しない、縁を切る!!これが幸せな人生をおくる原則です。

周囲を苦しめる彼女の実際の言動

数多ある彼女の時に大声で金切声で叫びながらの会話、電話、メールで吐いた言葉をほんの一部ですが、思い出したものを書き出してみました。

まさに「コンプレックス」とそれを認めたくないために「逆恨み」、「妬み(ねたみ)」、「嫉み(そねみ)」、「僻み(ひがみ)」、自分に都合の悪い事象を認めず「現状否定」、さらに自分に都合のいいように解釈、私は悪くないという「自己正当化」、上手くいかないのは人のせいという「責任転嫁」「被害妄想」、自身の欲を満たすために「嘘をつく」。自分より立場が上と判断する人には媚びへつらい土下座も辞さないが、常識的で大人しく、強い否定や暴力を振るわないとわかる人に対して「上から目線で暴言を吐く」、時に「暴力を振るう」、「脅す」、「嘘をつく」。(私自身、父危篤の病室に駆けつけた時にいきなり拳骨で喉仏あたりを不意に殴られて、病院で「頸椎捻挫、全治2週間の診断」を受けました。喉を狙うというのは、格闘技やプロレスでも禁じられていますし、鍛え上げたレスラーでも喉に不意打ちなどをされるともんどりうって倒れます。喉を狙うというというのは「殺意」をも意味します。)

頭は悪くないので自身の欲を実現するためにまさか人間ならこんなことはしないだろうという事でも法を悪用してでも人を陥れる。そして、最後には「自身の都合のいいように記憶を書き換えて虚構を事実のように思い込み吹聴する」ので始末におえません。それらの言動の中のいたる所に異常性を感じます。

人にはそれぞれ、向き不向きがあり、個性があります。そして、それに気付き、自分の身の丈に合った道を選ぶ、さらに上を目指して努力するものです。それが幸せな人生をおくることだからです。

人を陥れて我欲を、物欲を満たしても、身の丈に会わない場所を手に入れても、その根幹は強い劣等感ですし、人間である限り心のどこかに後ろめたさを抱えています。いくら自己正当化しても、都合のいいように記憶を書き換えても事実は決して変わらないし周囲の人もやがて気が付き離れていきます。そんな人間に幸せな人生は決して訪れません。自業自得です。

普通に生んでもらったにもかかわらず、勝手に強いコンプレックスを抱き、自ら負の連鎖の中に落ち込み、周囲の人間をも巻き込んでいくという悲しい性を背負った哀れな彼女なのです。

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【「妬み」、「嫉み」、「僻み」】

➜両親は良識的な人間で分け隔てなく子供たちを育てていました。なぜ彼女が数々のあり得ない言動を発するのか、思い込みが激しいのか理解できません。母は死ぬまで一番悲しんでいました。父は晩年認知症を患ってたので、酷いことを言われてもすぐ忘れるので幸せだったかもしれません。もしかすると彼女のそれから逃れたいために認知症になったのかもしれません。結局、長年の苦しみの末に両親はふたりともストレスが原因と思われる癌で亡くなり、私も現在、癌と戦っています。

《両親とはうまく行っていない》

「私は両親に可愛がられた記憶がない。」

「私は、愛情を持って育てられてない。」

「親から「死ね」「アホ」と言われた。」

「父には「大学もいかんでええ。アホやから。」と言われた。」

「母に「家に入るな!」と言われた。」

「子供の頃、母は、銭湯でお兄ちゃんの服は着せるが、私はアトピーで汚いからと銭湯の人にお金を渡して服を着せられた。」

➜こんなことはあり得ないし、無かったことを私は知っています。母と銭湯に行っていたのは、私が小学校入学前くらいまで。まだ4歳にも満たない彼女が覚えているはずもありません。妄想と思い込みでしょう。

「母は「下の子は色が黒くて頭が悪い。」と近所の人に笑いながら言っていた。」

「私には母にかわいがってもらった記憶がほとんどない。父には「クズ 死ね」と言われたことが何度かあります。」

「私はお母ちゃんが大嫌い。」

認知症の父は昔のことは良く覚えていて雄弁に話すが、私のことは出てきたことがない。」

「私は両親とうまくいっていなかった。両親は私が邪魔だった。」

「中学の頃から家を出ることばかり考えていた。」

◆母と買い物中、母が買い物をしていると・・・店員に「この人、ここ(頭を指指して)がおかしいから、相手にせんとってください。」と発言。一事が万事この調子だった。母は「このことは死んでも忘れない。」と涙。

 

《逆恨みが私に飛び火》

◆「あなたは愛されていたが私は愛されたことがない。

「お兄ちゃんは愛されていたが、私は愛された記憶がない。いつもお兄ちゃんだった。」

「あなたは自慢の息子。可愛がってもらっていいよね。私は要らない子だった。

「あなたは有名進学校のS高校、私はアホが行くT高校。」

「あなたが帰省した時、S高校の同級生のK君や、O君が家に遊びに来て私の居場所がなかった。恨んでいた。」

◆「あなたと私は親にかけてもらった愛情が違う。

私が結婚したとき妻に「私は大好きなお兄ちゃんを取られた。」

◆「あなたは私の味方か敵か?敵ならばあなたは要らない。」

◆父危篤で駆け付けた病室で彼女は病室に入った私の喉仏に拳骨で不意打ちを浴びせました。彼女の娘も見ている前でのことです。「いきなり何をするんだ。」と彼女の肩を持つと「この人が暴力を振るいました。誰か警察を呼んでください。」と大声で叫ぶ始末です。喉への不意打ちだったため、全治2週間の頸椎捻挫の診断を受けました。完全に頭がいかれています。それが神戸の中学校で現役の教師をしています。

 

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《結婚》

◆「あなたのせいで私はこの歳まで結婚出来ないでいる。」

◆「私は、高学歴、高収入、高身長の男としか結婚しない。」

→40を前にして念願の条件に見合った大手農機具メーカー勤務の男性と結婚しましたが・・・。

「主人は「子供を産むな。おろせ。」と私の腹を蹴った。だから別居しているが、離婚を主人が認めない。」

→その後、18年以上、離婚をせず、別居状態というのも不思議な話です。彼女の本質を見抜けなかった旦那様が気の毒です。

 

《子供の首に手をかける》

「私は子供が大嫌い。」

「あなたの子供の首に手をかけるなんて簡単にできるのよ。」

「あなたは絵も上手い、虫が好き、勉強もできる。私の娘はあなたそっくりなので憎くて娘の首に手をかけた。」

➜子供を教え導く聖職と言われる教師をしていることに恐ろしさを感じます

「母はいつも「孫(彼女の娘)はお兄ちゃんと似て、頭もいいし、絵も上手い、虫も好き。」と言っていたのに怒りを感じていた。」

◆「娘は誕生日まで1日違いであなたと近く、娘が憎かった。」

◆「あなたと娘は子供の頃中耳炎というのも同じで憎い。」

➜「は~っ?」ですね。

 

《私は一切親の世話になっていない。》

◆「娘の世話などしてもらっていない。娘が2歳で中耳炎になったときに1年間みてもらっただけ。お金は1円ももらっていない。私は親の世話に一切なっていない。

◆「娘が小2まで年老いた両親が遠路を通って娘の世話をしていたというが、向こうが勝手に来ただけで私は頼んでいない。私は親の世話に一切なっていない。

◆「両親が近くに引っ越して来たとき「悪魔が来たね」と勤務先の学校の同僚が言っていた。」

◆「あなたはこずかいをもらっていたが、私は親から1円のお金ももらっていない。」

◆「私は就職してから親にお金をもらったことはありません。二十歳の時に母から「成人したのたがら、生活費は自分で稼いでもらいたいけどお情けで払ってあげる」という手紙がきた。

◆「生まれてこなければ良かったとも言われた私は要らない子だから親は長男が見ればいい、親と一緒に暮らす気はないと思っている。」

◆「何故大嫌いな両親を私が見なければいけないのか。」

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《不動産・金銭への執着》

「両親に、「一緒に住もう」と言ったら「長男が居るから」と断られた。」

➜彼女は「私は両親に可愛がられておらず酷い目にあった。償いに実家は私がもらうのは当然。」という。私の妻にも結婚早々「実家の相続を辞退してください。」と語ったのには当時ただただ驚きでした。今思えば、このころからおかしかったのですね。

◆母の生前、母から「教職員組合に預貯金を預けると利子が民間の金融機関の10倍付くから私が預金してあげると言われこつこつ貯めた500万円を預けている。」と聞いていました。母の逝去後、問いただしたところ「あれは母が私にあげるとくれたものであなたには関係ない」と言い、通帳を見せることもしませんでした。母の死後は彼女が住んでいた家から「父の面倒をみる」と言って実家に居座り、両親の預金通帳も決して見せませんでした。認知症の父に聞いても「わからん。」「覚えん。」を繰り返すばかり。その後、彼女が下書きを作って「実家を娘の子供に譲る」という「遺言書」を認知症の父に書かせて私に「認めるといって署名、捺印しろ」と送りつけてきました。私が断ると、その後、司法書士を呼び、実家の所有権を「父からの強い願いによる「生前贈与」」という名目で登記簿を100%彼女の名義に書き換えていたのです。両親と仲の良かった長男を差し置いて、両親を毛嫌いして追いつめていた妹が法的にも勝手にそんなことを出来るはずがないと思っていた私が甘かったのです。認知症の父を利用すれば簡単に出来る。欲深い兄弟であれば簡単にできます。」と知り合いの法律事務所の社長さんに聞きました。

◆父がステージ1にも満たない癌と診断されたとき、彼女が言った言葉「裏の手を使ってでもホスピスに放り込みます。実家で死なれたら家に死臭がつく。死臭がついたら取れない。」

➜結局、周囲の反対を無視して、総合病院からホスピスに転院させ、両親とも亡くなった後も仏様を実家に帰らせることはなく病院から直葬儀場送りでした。「ここは自分の家」と言っていた父は草葉の陰で泣いているでしょう

➜父の死後にわかったことですが、父の生存時すでに認知症の父を利用して「生前贈与」という名目で実家をすべて自分の名義に書き換えていたのです。後日、「そんなことが可能なのか?」と思い法律事務所、司法書士の友人に聞いたところ「よくある事例で合法的にできる」そうです。

➜「裏の手を使ってでも」と言う言葉も気になります。どんな手を使ってステージ1の父をホスピス送りにしたのでしょう。母は、ホスピス送り後1週間、元気だった父はホスピス送り後わずか11日で亡くなりました。今でも合点がいきません。

◆父の死後間もなく、実家を手に入れた彼女から「実家にある仏壇はお炊きに出します。うらまれたら怖いので三回忌まではします。」とお焚代を請求してきました。実家は神戸、私の勤務先が東京と遠方だったので、両親が体調を崩した時に病院に連れて行ったりしてくれていたことには感謝しています。父が亡くなる前の短い間、ほとんど「デイケアサービス」に預けていたのですが、下心があるとはいえ同居して世話をしていたということにはお礼を言いたいと思います。しかし、両親の死後、「介護!介護!介護!」とわめき散らしながら「私が見取ったのだから介護料として120万円を支払え。」と言ってきました。今後、関わりあいたくないので黙って支払い縁を切りました。両親の供養はこちらでしています。

➜両親の死後に判明したのですが、父親の生前に司法書士を呼び、認知症の父に印を押させ、無断で登記簿を「生前贈与」という名のもとに書き換えており、父の死後は実家に居座り誰も近づけず、実家は「伏魔殿」と化しています。親戚も気違いの行為を恐れていたと思います。実際に親戚とかに仏事を案内したのは納骨までで、実家にあった仏壇は処分、「親は生前に墓終いをして予約していた永代供養に入れたので法事はする必要はない。」と言っていましたので法事はしていないと思います。両親は草葉の陰で泣いているでしょう。私は心休まる実家を失ったわけですが、心休まるというのは両親が居るからでした。両親の居ない、悪魔が棲み着いた愛のない実家には興味はないし、関わりあいたくないので彼女の好きなようにしたらいいと思っています。離れて東京に住んでいた私が1周忌、3回忌法要を行ないました。

➜人を信じられず、友達もいない、親戚も薄々そのことに気がつき寄り付かなくなる。配偶者も20年近く別居状態という彼女は本当に哀れと思います。(結婚した時も友達の出席はひとりでしたし、両親の告別式の時も彼女の職場からは出席者はおろか、弔電、お供えの花すら皆無でした。)娘が一人いますが、もっと可哀相です。母親のために父親の愛も知りません。叔父さん、叔母さんも、従妹もいません。どんな人間になるのでしょう。人は皆一人では生きていけないものですし、支えあって生きています。彼女は金銭・不動産しか信じる物が無いのでしょう。可哀相ですが自業自得です。

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《叔父・叔母への言動》

◆母の死後、父の弟が「兄貴を元気付けるため」と実家に来てくれ数日を兄弟で過ごしてくれましたが、「叔父が来て父に酒を飲ませた。殺す気か!一人で散歩に出かけて父を放置した。もう来てほしくない。」と叔父の家に電話を入れていました。これが父が弟と過ごした、叔父が実家に来た人生最後の時となりました。

◆母の死後、叔母に「母の服は着る人が居ないから持って帰って欲しい。」と呼んでおいて、「叔母が来て、家中をあさり、袋に母の服を詰め込んで持って帰った。恐かった。」と言い出す始末。叔母も怒り心頭でした。

※両親は、きわめて常識的でいい人間だったし、子供をえこひいきすることはなかったと思います。一緒に住んでいたのでわかります。彼女が言うことが一部でも本当の部分があるとしたら、彼女が両親にそういわせるようなよっぽど酷いことを言ったのではないでしょうか。そして、自分が言ったこと、したこと、してもらったことは忘れている記憶改ざんする人格障害なのか嘘を言っているとしか考えられません。

彼女のもっと酷い言動は枚挙にいとまがないくらいまだまだありますが、この辺りにしておきます。